体験者インタビュー

乳がん再発、三度の抗がん剤治療を完走。弱虫、卒業

闘病の日々を振り返る吉田さん。穏やかな口調と優しい笑顔に癒しをもらえる。

何をもって「この人は強い」、と言えるのだろう。揺るがない意思? ストイックな姿勢? 吉田久美さんに出会い、本当の強さは弱さを自覚していることだと教えられました。弱さは欠点じゃない。強さの原動力であり、人の痛みに寄り添う優しさを生むということも。治療中はたくさん泣いた。でも小さな覚悟を積み重ね、がんを生き抜くために自分の足で前に進むことを選んだ吉田さん。そして今、自分にしかできない役割を得て、強く優しく患者さんを支え続けるサバイバー人生に密着しました。

 

後悔のない選択をしてきたから、「再発」も悔いなし

小学校では6年間、自分から手を挙げることがなく、内気な性格は大人になってもそのまま。乳がんになる前までは……。今も目立つことは苦手だけど、「人生一度きり」と自分を奮い立たせ、声がかかれば講演会に出向いて100人を前に闘病体験を話すことも。病気が心を強くしてくれたと感じています。

病気になる前は、がんは著名人や特別な人がなる病気で、平凡に生きてきた私には無縁だと思っていました。あの日右の乳頭から出血を見つけたときも、「乳がんかもしれない」とさえ思いませんでした。重い腰を上げて病院で検査をしたら、「乳がんです」って……。頭は真っ白。その頃、すでに夫とはギクシャクしていて、二人の子どもを彼に任せる未来図は描けませんでした。がんになったら死んでしまう。咄嗟にそう思い「子どもたちはどうしよう」と居てもたってもいられず、ポロポロと涙が溢れ止まりませんでした。

転移の疑いがあり手術前に抗がん剤を行うことに。副作用は怖かったけど、子どものためにも生きなきゃいけない。辛い治療とわかっていても断る理由はありませんでした。治療前にロングだった髪をばっさり切ったら、覚悟ができた。だけど抗がん剤初日は、「点滴の針が入ったら、私はがん患者になる」と思ってしまい悲しかったです。一番辛かった副作用は脱毛。お風呂でシャンプーをしていたら、髪の毛が手にまとわりついてごっそり抜けた。もう気が狂いそう。子どもに心配をかけまいとシャワーの音で泣き声をかき消し、湯船にもぐってまた泣いた。子どもがいなかったら心が壊れていたかもしれません。

脱毛は、「髪が抜け切った後より抜ける過程が辛い」と吉田さん。

抗がん剤が効いてしこりは小さくなり、その後は温存手術、放射線療法、術後の抗がん剤、ホルモン受容体陽性※1だったのでホルモン療法を行いました。治療中、いつも心に留めていたのは、「後悔しない選択をしなさい」という主治医の一言です。言われるがままではなく、わからないことは主治医に質問し自分でもできる限り調べました。納得するまで考えて治療を選んできたので、迷いや不安、後悔もゼロです。

※1 女性ホルモンのエストロゲンを取り入れて増殖するタイプの乳がん。ホルモン療法が有効。

術後、病院のベッドで。一歩ずつ前へ。

がんになって7年目、ホルモン剤もそろそろ卒業かなと思っていた矢先に、再発。自暴自棄にならなかったのは、これまでの治療を納得して選択してきたからだと思います。これだけがんばったのになぜ、ではなく、これだけやって再発したならしょうがない、と思えたんです。翌月には楽しみにしていたマラソン大会がある。絶対に走りたい。なるべく早く手術をしたくて再発がわかった翌週に予約を入れました。腫瘍は初発と同じ右乳房、乳頭の真裏にあり、乳頭・乳輪を残した温存手術で切除。他臓器への転移はなく局所再発※2だったことも、治療を前向きに捉えられた理由かもしれません。再発したがんは、ホルモン剤が効かないホルモン受容体陰性でした。抗がん剤を使うべきか医師の間で意見がわかれ、最終選択は私自身に委ねられることに。もっと生きたい、後悔したくない。そう思い三度目の抗がん剤治療を選択しました。でも、抗がん剤は本当に辛かった。何のために治療しているのかわからなくなり、「こんな状態は自分らしくない」と主治医に相談。心身共に辛いと正直に話したら「私はあなたとこんなふうに本音で話がしたかった」と言われ、「じゃあ、抗がん剤は止めよう」って。治療計画は遂行できなかったけど、納得のいく選択ができたという意味で私にとっては“完走”でした。

※2 手術を受けた側の乳房やリンパ節に出る再発。

 

抗がん剤治療中、シングルマザーになると決心

シングルマザーになったのは乳がんの治療中。離婚を切り出したんです、私の方から。離婚した一番の理由は、お金。ギャンブル好きの夫に代わり、私がパートを掛け持ちしてなんとか家計を守っていました。抗がん剤が始まったら今までのようには働けない。そう思っていたときに夫が会社を辞めてきたんです。社会保険の継続も、次の職場も決めずに。抗がん剤治療が始まると、病院に行く前日は不安でいっぱいになります。そんなときに限って「今日は遅くなる」と言って帰ってこないことも。寄り添う気持ちがないのか、寄り添い方がわからなかったのか。いずれにせよ私が支えてほしいときに、彼がそばにいてくれることはなかったです。経済的にも精神的にもこれ以上頼れない。一人は不安だけど二人でいたらもっと不安、そう思い私から離婚を決めました。

私が二人の子どもを引き取り、抗がん剤をやりながら就職活動を始めました。でもがん患者を雇ってくれる会社はなく、無職だから住む場所を借りるも一苦労。わずかな蓄えを切り崩す毎日でした。そんなとき、治療中の病院で乳がん体験者コーディネーター※3として働く女性に出会ったんです。ご自身の闘病体験と学習した医療知識を生かし、患者さんに寄り添う仕事に就いていました。「私がやりたい仕事はこれだ!」と思い、治療中に養成講座に申し込み新たな人生を踏み出すために資格を取得しました。

※3乳がん体験者コーディネーター(Breast cancer Experienced Coordinator/BEC)。20科目にわたる乳がんの専門知識を学ぶ講座を受け、ケースタディ、ロールプレイ、修了試験を経て取得できる資格。NPO法人キャンサーネットジャパンが運営している。

 

人は役割を得てこそ、もう一度輝ける

晴れて乳がん体験者コーディネーターとなり、最初はボランティアとして経験を積み、今は神奈川県・平塚共済病院で職員として勤務しています。平塚共済病院では、「乳がん情報提供室」という個室で、患者さんやそのご家族の不安や悩みに耳を傾けています。私の力で患者さんを変えられるとは思っていません。辛い治療中、私に会って泣いて笑って「生きてるってやっぱりいいな」と思ってもらえたらそれで十分。こんな私を見て「すごいね」と言ってくれる人がいるけど、本来私は弱虫。今も病気と向き合うのが怖いんです。この仕事をしている限り乳がんの最新情報を常に学ぶ必要があり、あえて向き合わざるを得ない状況を作っているのが本当のところ。病院の仕事以外に講演会にも呼ばれます。人前に立つのは今も苦手で緊張して声が震えることも。だけど今の私は、苦手を断る理由にはしません。断ってしまえば頑張ってきた自分を否定することになるから。

「ガーゼ帽子を縫う会」は、いつもアットホームな雰囲気。

がんと闘う人に心と体を癒してほしくて始めた「ガーゼ帽子を縫う会」も、大切なライフワークです。患者さんやそのご家族、ときには健康な人も参加して、脱毛中にかぶるガーゼ素材の帽子を手縫いで作る活動を続けています。作業に集中すると無心になり嫌な事を忘れられますよ。直線縫いだから抗がん剤の副作用で手がしびれていても大丈夫。完成したガーゼ帽子は病院などで販売し、売上金をガーゼ生地の購入費に充てています。自分が作ったものを誰かが買ってくれて、そのお金が会の資金となる。自分が活動の一躍を担っているという自負を感じてもらえたら。「私はもう社会貢献なんてできない」と塞ぎこんでいた高齢の女性が、役割を見つけて輝きを取り戻したケースも見てきました。前を向くには、社会や家庭で再び役割を得ることが大切です。「私がやらなくちゃ」と思えるものを見つけたとき、人はまた自分の足で歩けるようになります。私もそうでした。

 

人生を自分の足で歩んでいる。今が一番幸せ

傍らにがんがある人生も、気付いたら10年。それを不幸だとは思いません。さらなる再発、経済的な不安など考えたらキリがない。でも病気になる前は、起きていないことに気を揉んでもっと不安でした。人と違うことはいけないとも思っていました。今は家族構成、仕事、体だって普通じゃないけど毎日が楽しい。自分らしく正直に生きている今は、病気になる前より「ずっと幸せ」と言い切れます。それに誰かに依存しようと思わず、自分の足で歩けているこの状態がとても心地がいいんです。手助けが必要なときは助けてと声に出し、一声かければ患者仲間や友人、信頼する医師たちが手をさしのべてくれる。病気はならない方がいいけど、私にとってはプラスの経験もありました。がんになった人生も、悪くないなと思うんです。

■平塚共済病院 「乳がん情報提供室」での相談活動
情報提供室の開設は、神奈川県・湘南記念病院に続き二例目。ここでは、乳がん体験者コーディネーターである吉田久美さんが、乳がんの告知と治療によって起こる不安や悩みに耳を傾けています。また、がん剤治療中に必要なウィッグ、術後につける下着などの相談や情報提供、術後のリハビリ体操、おしゃべりサロン、メイクセミナーなどのイベントも企画、開催。友人や家族に話せないことも、がん体験者である吉田さんには打ち明けられ、今や患者さんの良き理解者とし病院にとって欠かせない存在に。また、吉田さんは同病院のチーム医療の一員であり、相談内容を医師にフィードバックして、よりよい治療の実現に一役買っています。予約は不要、気軽にふらっと立ち寄れます。現在、週3回勤務。
◆乳がん情報提供室

 

■「ガーゼ帽子を縫う会」を各所で開催
脱毛中に着用するガーゼ帽子を手作りするピアサポート活動。「患者会に行きたいけど人見知りだから気が引ける。私のような人も参加しやすい場作りを」と、2014年に吉田さんが立ち上げました。大変な体験をしたサバイバー同士は、社交的でもそうでない人も心が通いやすく強い絆が生まれるそう。縫うことに夢中でおしゃべりを忘れてしまうこともあり、無理に話す必要はなく会話ベタな人も気軽に参加できます。同じ経験をした仲間と出会いたい人、手作業が好きな人、社会貢献をしたい人におすすめ。現在、さらなる活動場所とガーゼ帽子の販売場所を募集中。
◆ガーゼ帽子を縫う会
<活動場所>
いのちの木(申込不要)  第2水曜
(公財)男女共同参画センター フォーラム南太田(要申込)  不定期
平塚共済病院(電話にて要申込)  不定期

 

▽吉田久美さん

2008年に自分でしこりを見付け、乳がんの告知を受ける。術後の抗がん剤治療中に乳がん体験者コーディネーター養成講座を受講し資格を取得。2010年より平塚共済病院の情報提供室に勤務する傍ら、講演や啓発活動にも積極的に参加。「ガーゼ帽子を縫う会」の発起人でもある。

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