体験者インタビュー

夫に泣いた、怒った、失望した。それでも「がん離婚」を避けられた理由

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻が病気になったら夫は不慣れな家事を手伝って献身的にサポートして乗り越える、というのが理想的ですが、実際は関係が悪くなり、別れてしまうことも少なくありません。乳がんと向き合う自分と夫の温度差に悩んだAさんは、どのように「溝」を埋めたのでしょうか。

 

楽天家なのはいいけれど、察する力が足りない夫

― 最初に、Aさんファミリーについて聞かせてください。ご主人はどんな方ですか。

我が家は夫と私、二人の息子の4人家族です。2016年に私の乳がんが見つかったとき、息子は1歳と3歳でした。夫は一言で言うとマイペースな人ですね。何事にも完璧を求めてしまっていた私にとって、いつも楽天的でいられる夫の性格はうらやましくもあったのです。けれども楽天家ゆえの悪気のない言動が目立ち、そのせいで傷つくことはよくありました。

― がん告知のショックや闘病のつらさを夫に理解してもらえず、夫婦関係がギクシャクするケースがあります。

私の場合は、病気になる前から夫の言動に苛立つことがあり、乳がんになってさらに顕著になった感じですね。思い返すと妊娠中に私が家の階段から落ちたとき、夫はキッチンでお菓子を食べながら「大丈夫?」とだけ……。妊婦が階段から落ちれば破水するかもしれないのに。「駆け寄って体を起こすぐらいしないとまずくない?」と後で言ったら、「でも大丈夫だったじゃん」って。その前に風邪をひいて2ヵ月間咳が止まらなかったときは「大丈夫?」の一言もなく、「離婚」の二文字が頭をよぎりました。夫のお義母さんは病気ひとつしない元気印の人なので妻も元気で当たり前、「具合の悪い妻」に耐性がないのでしょう。それに家事は私に任せきりだから、寝込まれると困るので具合の悪さを認めたくない。きっと寄り添い方も分からないのです。言わないと気づかないと思い「大丈夫?の一言は言うようにしてね」とお願いしたところ、言葉を掛けてくれるようになりました。悪気はないのですよね……。

 

夫と衝突し、生きるのがつらいと感じたことも

― Aさんはどのようにして乳がんが見つかり、ご主人は「乳がんになった妻」を受け入れられましたか。

次男を産んだ1年後に断乳し、乳房の張りがひどくて乳房マッサージをしていたら右乳房にしこりを発見。夫にもすすめられて病院に行きました。「もし私が乳がんだったらどうする?」と夫に聞くと、まったく受け入れられないという感じで……。その様子を見ていたら乳がんを言い渡された私の隣で激しく動揺する夫をがん当事者の私が慰める、というシーンを想像してしまって。しんどいなと思い、一人で検査の結果を聞きに行きました。主治医に乳がんと言われ、その日のうちに血液検査と画像検査を行うことに。待ち時間に頭をフル回転させて治療が始まるまでにやることを整理し、今後のことをじっくり考える時間を持てたので一人で来てよかったです。アドバイスをもらうために乳がんを経験した友人やがんに詳しい知人に連絡しましたが、仲が良いだけの友人には相談しませんでした。なぜなら病気と縁遠い人にがんの話をしても動揺させてしまうし、その人が悪気なく発した言葉に私が傷つくかもしれない。かつて闘病中の方の心に寄り添えず無意識に傷つけていたかもしれない我が身を振り返りながら、自分の心を守るために冷静に話しを聞いてくれる相手を選んで相談しました。

後日、画像検査の結果は夫と聞きに行きました。現段階はステージⅠ。予定では温存手術だけれど、手術をして転移があれば全摘の可能性があり、腋の下のリンパ節も切除すると言われ、事の重大さにショックを受けました。手術の日程を決めることになり、ここで夫と衝突。というのも、長男の通う幼稚園は月に一度合同の誕生会があり、その日は手作りのお弁当を持参することになっています。だから手術は誕生会の後にしたいと言うと、「コンビニ弁当でいいじゃん」と言い放つ夫。「子どもにコンビニ弁当なんて持たせられるわけないでしょっ!」と、主治医の前で怒鳴って泣き散らしました。お義母さんに作ってもらおうとか、頼めるママ友はいないのとか、どうして言えないのだろう。きちんとやりたい性格だった私は夫のいい加減な態度に幻滅し、どっと押し寄せる疲労。生きるのが嫌になりこれで命が終わってもいいとさえ思いました。

 

相手を変えようとせず、相手を認められる自分に変わる

― 患者は乳がんを受け入れて治療を受ける覚悟を決め、なおかつ入院までにさまざまな準備をこなす必要があります。心身共に落ち着かない中、ご主人との溝を埋めるために努力したこととは。

次男の入園準備、確定申告、家事に忙しく、追い詰められてうつ状態になったことがありました。夫は頼りにならないし外に助けを求めよう。そう思って相談に乗ってもらったカウンセラーにすすめられたのが、「自分ができたことをノートに書いてみる」方法です。私のような完璧主義者は、できなかったことに目が向いて自己嫌悪に陥りがち。そこで「できたことノート」を作り、自分がその日にできた些細なことでも書き出してみるのです。すると意外にできていることが多く、頑張っている自分を認められるようになりました。そして1週間ほどたった頃から夫がしてくれた些細なことにも自然と気づくようになり、やってもらって当たり前と思っていたことに感謝でき、夫なりの頑張りがわかるようになったのです。相手に求めるだけでなく、まずは夫の良いところを認められる自分になることが必要なんですね。そうはいっても夫は、私が言葉にして伝えないと怒っている理由に気づけません。だから「これだけ大変だから手伝ってほしい」「心の中で心配していても、言ってくれないとわからない」としょっちゅう伝えるようにしています。言いづらいことはSNSで吐き出し、それを夫が見て洗い物をするようになった、ということもありました。

― Aさんが入院している間、家事はどうしていましたか。家事が苦手なご主人はさぞや大変だったのでは……。

夫は料理ができずゆで卵も作れません。近くに住む義母も家事が苦手。そこで朝ごはんの作り方や通園の持ち物リスト、息子たちを園に送り出すまでの朝のルーティンを書いた生活マニュアルを作り入院前に夫に渡しました。入院は12日間。手術中に脇の下のリンパ節に転移が見つかり、右乳房は温存してリンパ節を切除。最終的な診断はステージⅡAでした。結局、私の入院中に夫がキッチンに立つことはなく、コンビニのおにぎりやスーパーのお惣菜で乗り切ったようです。でも会社に短時間勤務を申請して早めに帰宅し、食事の準備をしてくれるだけでもありがたく、大変なときは手作りじゃなくてもいい、子どもたちが食べてくれたらそれで良しとしました。

退院した直後は包丁を持つだけで術後の傷が痛み、食材の買い出しもしんどくて。そのとき重宝したのは、半調理済みのメニューが毎日届くミールキットの宅配サービスです。がんになると健康志向が高まり、食事を見直す人は多いですが、そのこだわりがストレスになるのは本末転倒。体調が万全でないときは家事の手を抜き、自分に優しくすることが大事です。乳がん治療は、完璧主義の自分を手放し生きやすい自分になるきっかけを与えてくれたように思います。そしてストレス発散にはアンテナを外に向けて生きがいを見つけ、家の事や病気を忘れる時間を作るといいですね。私は友人のすすめで習い始めたバレエのおかげで世界が広がり生活にハリが生まれました。

入院に備えて夫のために手作りした生活マニュアルには、家事・育児の順序を細かく記載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デリケートな性生活。夫婦だからこそ本音で話し合いを

― 乳がんになると性生活が上手くいかないことがあります。その一因が乳房切除、抗がん剤による脱毛が招く外見の変化。そして女性ホルモンを止めるホルモン療法中に膣の乾燥と萎縮に伴い性交痛が生じ、性生活への意欲がそがれることも原因に。Aさんはどうでしたか。

私は性生活を「しばらくは無理だから」と、あらかじめやんわりと夫に伝えました。告知のショックを抱えたまま入院までにやることが山積みで、とてもそんな気分になれなかったです。それにも関わらず告知の3日後、夫は関係を求めてきました。ショックでした……。拒否するとなじるような言葉をかけられ、態度はあきらかに不満そう。私の気持ちはまったく理解されていない。そう思うと悲しくて言葉で伝えてもダメだったので、トイレに駆け込んで夫に聞こえるように大声で泣きました。すると夫はおろおろするばかり。夫の行動は不安の裏返しかもしれません。だけど、女性はそのときの精神状態が性生活への意欲に影響します。心の余裕がないと受け入れられないこともあると夫に理解してほしかったです。

手術が無事に終わり気持ちは落ち着きましたが、今度はホルモン療法の影響による性交痛がつらくて身体的に性行為が負担に感じるように。乳がん以前に高度異形成の子宮頸がんが見つかり、円錐切除術をした影響もあるかもしれません。したくない妻とスキンシップを求める夫。私の関心が子どもに向きがちなので、夫は触れ合うことで愛されている実感がほしいのだと思います。妻としてその気持ちを受け入れる必要があると思い、きちんと話し合い「代わりにマッサージをしてほしい」と希望を伝えたら夫は納得してくれました。マッサージをしながら子どもや親の話をしてコミュニケーションが深まり、最近は本を見ながら症状が出始めたリンパ浮腫のマッサージをしてくれます。時間がかかっても向き合うことを諦めないって大事ですね。

 

親の不安は子どもに伝わる。母親は深刻になり過ぎないように

― 当時1歳と3歳の息子さんとどのように向き合い、お母さんが乳がんになったことは伝えましたか。

当時は二人とも幼かったので伝えていません。長男に話したのは小学生になってからです。家族でテレビドラマを観ていたらがんの手術シーンになって、これはチャンスと思い「ママもがんの手術をしたんだよ」と切り出しました。「痛かった?」と聞くので「ママは強いから全然平気」と。あえて明るく答えたのは、母親が深刻になりすぎると子どもが不安になるからです。そもそも私は乳がんになったことを悲観的に考えていません。大変だったけれど素敵な出会いも多く、大病した人の気持ちもわかるようになり、乳がんを通した体験を財産だと思っています。息子にがんの事実を伝えたのは、万が一再発して私が突然死んでしまったときにびっくりさせないためです。長男はお風呂で手術痕を見ても気を遣って何も聞いてきません。子どもなりに触れてはいけないと思っているらしく、それもあって事実を伝えようと思いました。

ホルモン剤を入れたケースの右側で輝くのは、息子さんがお祭りですくったおもちゃのジュエリー。「宝石のようにキラキラと輝く自分をイメージしながら服用し、1年ごとに増やしています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

― 手術から5年が経った今の心境を教えてください。

今が人生で一番元気です(笑)。気持ちもすごく充実していますよ。私は若い頃からずっといつ死んでもいいと思っていて、刹那的に生きてきました。ピアノ、声楽、空手、水泳、地歌舞……と多趣味な私ですが、理由はいつ死んでもいいように何でもやっておこうと思っていたからです。乳がんになって死を意識したことで生きたいと初めて強く思い、長生きする自分を想像するのが楽しみになりました。今も変わらず多趣味ですが、今度は90歳、100歳まで生きるための肥しにしたいという前向きな気持ちで楽しみ、人生を生き直している最中です。

夫は相変わらず料理ができませんが、私の具合が悪いとおかゆとカットフルーツを買ってきて、ちゃんとお皿に移して出してくれます。自分が使ったお皿は洗うようになったし、週末は子どもと一緒に出掛けて行き、私は家でゆっくりできるようになりました。ホルモン療法中はホルモンバランスの乱れから急にカッとなるときがあるのですが、今では夫はスルーしてくれるようになりました。「この人と老後は無理」と思ったこともありますが、「この人と一緒にいるのが私の人生なんだ」と今は思っています。

Aさん

主婦、二人の息子の母。結婚前はEX-WEBプロデューサー、企業接遇講師、IT関連企業など専門性の高い仕事で活躍。趣味の幅が広くこれまでにピアノ、声楽、水泳、社交ダンス、空手(極真全国大会にて34歳で優勝)、地唄舞、書道などをこなす。現在は茶道裏千家(茶名取得)、バレエ、バイオリンなど新しい世界に挑戦し人生を満喫中。

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